親愛なるジャンボプールの神様へ

ヨーロッパ史のこと、移民のこと、スイムウェアのこと、社会のこと、政治のこと、生活のこと書いています。

サイコロの神様なるもの。

 うちにはサイコロの神様なるものがいます。旦那は年がら年中サイコロを振っています。私は生まれてこの方、旦那以外の人で、筆箱の中にサイコロを常備している人を見たことがありません。

 

一体サイコロで何をしているのか?自己管理みたいなことです。彼は、自分の あきっぽい性格を熟知して、飽きてもサイコロに背中を押してもらおうということを始めたそう。それは私と出会う大分昔のことです。

 

 やり方はこうです。サイコロの目は1から6の六つありますので、それぞれの番号にタスクをあてがいます。例えば次のような感じです。

 

1→ 『罪と罰』を読む

2→ 研修の資料を読む

3→ 洗濯をする

4→ 日経ビジネスを読む

5→ 家計簿をつける

6→ 自由

 

タスクをあてがったらサイコロを振り、でた目にあてがわれたタスクをやるというわけです。

 

 私はいつも彼が楽しそうにサイコロを振るのを見て羨ましく仕方ありませんでした。おそらくこのサイコロというのは彼の自己管理能力の高さの象徴のようなものです。いつも気分に流される私と自分をコントロールする術を知っている彼。別に彼は気分屋の私に改善を迫ったりしたことは一度もありませんが、彼のサイコロを振る悠々とした姿が何とも言えない気持ちにさせます 。なんとなく焦りと羨望が混ざり合った気持ちになり、このまま気分の奴隷になってはいけない、と思うようになり、私もサイコロを振り始めました。

 

  「偶然じゃないか?」とか「思い込みでは?」と言われても仕方のないことなのですが、サイコロを振り始めて気づいたことがあります。やらなきゃいけないのはわかっているけど気分が乗らないなー、とか本当は優先順位が高いんだけれども 、とっつきにくいと感じていることがあると、サイコロがそれを察知してか、そのタスクがあてがわれた数字の目を出すのです。「えー?それーー?なんで?」となりますが、仕方ありません、やるしかありません。サイコロを振る時には、必ず守らなければいけないルールがあって、それはサイコロに必ず従うことです。ですからやらなければいけません。

 

 これを始めて だいたい3ヶ月ぐらい経つのですが、今までなかなか習慣化できなかったドイツ語の勉強や、このブログを書くことですら、なんとか続けられるようになりました。だからうちにはサイコロの神様がいるんだと勝手に思っています。それにしても人間の意思ってなかなか強くて弱いものなんですね。「人間の意志」x「サイコロの神様」=実行力、なんて思ったりしています。

家のこと、子育てのことは、キャリアの陰になってるけど。

 人生様々ですが、やはり仕事で何を成し遂げたか?ということに重きが置かれるように思います。家事とか子育てとか、それは「成し遂げたこと」として数えらえることが少ないように感じます。それは誰の成果かという境界線が不明慮だからでしょう。例えば、子どもが歩けるようになったとしても、それをサポートしたのが親だとしても実際に歩いたのは子どもだから、とか。また子育てを親がして当然というのもあるのでしょう。確かに責任は親にあり、またそれも当然と考えられているから、parentingが「仕事で成し遂げたこと」の陰に隠されている風潮があるように思います。しかし、そんな風潮こそが、母親業への社会的評価がいまいちなこと(というか評価されているのか?)、ひいては男性の育児参加への社会のまだまだsupportiveとはいえない風潮の原因ではないかと感じました。

 

 それは同時に、子供の権利への理解不足にもつながってくるような気がします。子育ては、簡単なわけがないし、子どもをつくっただけでだれでもできるわけではない。できるんだったら児童虐待なんておこってないわけです。ある意味、仕事のように、あるいはそれ以上に、様々なテクニックやノウハウが必要で、日々の勉強が必要―エクセルやワード、パワポが初めから使えないように、営業トークだっていきなりできるわけじゃない。そうやって勉強して、子供のことを知って、子供を大切に育てるヒントを得る。

 

 だからやっぱり、子育てって当たり前ではないんだよ、いろいろ大変なんだよ、仕事より優先順位が低いなんてことないんだよ、会社も、社会も、地域もそれをわかってサポートし合う必要がある(きれいごとですけど)と思います。

当たり前のことかもしれませんが、自分が見たところ当たり前に行われていなかったこと―派遣社員に「説明をする」ということ。

 以前働いていた会社では派遣社員の方が何人かおりました。私自身も派遣社員として働いていて、その後正社員になりました。私が経験した、派遣さんに仕事を説明することについてちょこっと書いてみたいと思います。

 

 景気はいまいちで失業率が今より高く、一手不足も特になく、よって派遣社員の人々が正社員よりも明らかに不利な状況に甘んじていたとき。派遣社員が正社員に対して何とも思わずに働き続けていたとき。今ほど、同一労働同一賃金が叫ばれていなかった時。派遣社員は表立って不満は言わず、業務をこなしていました。派遣社員のほとんどが女性でしたが、半分はそつなくこなす程度にがんばり、数年して辞めていきました。残りの半分はだれに言われたわけでもないのに積極的に勉強し、どんどん成長していきました。彼女たちはやめることなくその会社で働き続けました。その時代、よりやる気がある派遣社員は自分で学んで業務に慣れていきました。

 

 それを見た正社員の人々はそれが当たり前だと思ってしまったようです。自分もその一人でした。派遣さんはある程度経験があるから、ということで、初日からいきなり業務の説明が入ることが多かった。発注業務が主だった仕事だったら、いきなり発注システムの使い方を教える。営業事務だったら、請求書のつくり方を教える。と、こんな感じです。別に何を発注しているかとか関係ありません。請求書に書いてある製品のことは関係ありません。まじめでやる気のある派遣さんは、発注している製品について調べたり、業務をこなしていく中で、情報を積み上げて勉強したり。発注業務だけやっていたのが、受注業務もまかされるようになる。だいたい3年すると、正社員として採用される、という感じです。

 

 しかし、あるときから、きて1か月で辞めてしまう派遣さんがでてきました。ひどいときは2日でした。それも一人だけのケースではありません。辞めた理由が明確にわからない場合がほとんどですが、ある人はやめる前に「きつい」と周囲にもらしていたそうです。正社員とほぼほぼ同じ内容の仕事を期待されているが、十分なサポートが得られていなかった、その中で業務になれる自信もなくなっていったようでした。私も初めはこの辺の事情を上手く理解していませんでした。やる気ないのかなと短絡的にとらえていました。しかしそれは間違いでした。

 

 今は人手不足で、派遣社員の方々により多くの選択肢があります。また派遣という雇用形態を選ぶ方にも戦略的な理由があります。それまで残業をがんがんして土日も構わず働いてきたから、今度はもうすこし落ち着いてゆったりと働きたいと考える方もいます。もちろん中には非常に経験豊かで能力のある人々もいて、私の周りの派遣社員の方にもいました。

 

 ですから派遣だから、ある程度職務経験はあるから、オリエンテーションや会社の説明を入れずに、初日から業務のことを教えても大丈夫だろう。早く仕事に慣れてもらいたいからと、というのはあまりにも配慮がなさ過ぎる。どんなにできる人でもいきなりやれと言われるのはやはりきついのです。うまくその人の能力を生かしてもらうには、初めはじっくりと会社の説明や業務の説明、この業務が何を目的としているのか、社会にどんな貢献をしているのか、また他の部署は何をしているのかといったことから、総務的な制度の話(会社の年間の行事、どんなイベントがあるのか、夏休み・冬休み、休暇の取りかた)もする。

 

 そうやってオリエンテーション的なことをしてから、新しい人は鳥瞰図を手にすることができる。鳥瞰図を手にすれば、不安を少々和らげることができます。何しろ、実際の業務がはじまったらもっともっと不安要素が増えること間違いなしですから。

 

 その後は、実際の業務の指導に入っていきます。ゆっくりじっくり、レクチャーをしながら、また自分でやって例をみせながら、業務を指導していく。どんなタスクも、どんな目的があるのか、なぜそれが必要なのか説明します。量をこなしていけばわかる、というものも中にはあるかもしれません。しかしやはり初めにひととおり説明したほうがいいのです。わからないまま機械のようにやるのでは、やりがいがありません。完全に理解しなくても大丈夫と一言加えて説明すればよいのです。

 

 それは、新しく入ってきた人を組織の一員として受け入れること、同じ目標のもとで頑張る仲間であると認識するプロセスでもあります。業務の説明をするにあたっては、必ず相手がどのような経歴の持ち主か、どんな姿勢でこれまで仕事をしてきたのか、どんな価値観をもっているのか探る必要があることは言うまでもないでしょう。そうやって相手を知り、相手に新しい仕事の目的・成果をしってもらう。入ってすぐさま、「あなたの仕事はこれね。じゃあ、あと頑張ってね。」では、あまりにも共に頑張る仲間としての相互理解が乏しい。人が定着しない職場は魅力のない職場の可能性があります。入ってはやめていく派遣さんが多い職場は、自分の職場が魅力がわかってもらえてないのだなってことを意識する必要があると思います。

 

 人は費用ではなく資源だと強調したドラッカーの言葉が胸に響きます。―「マネジメントのほとんどが人を資源としてではなくコストとして扱っており、あらゆる資源のうち、人が最も活用されずに能力も開発されていないものである。」

改めて、コンビニ会社たちに告ぐ。

 改めて、コンビニ会社たちに告ぐ。あなた方の袋をもらわない代わりにポイントをくれ。もう一度言おう。あなた方の袋をもらわない代わりにポイントをくれ。

 

 別に君たちのポイントに飢えているわけじゃない。正直私はコンビニを前ほど使わなくなったし、あえてポイントをためようとか思っていない。環境を思ってのことだ。あなた方の力を借りたいのだ。あなた方の普遍的な魅力を力で、世の中を動かしてほしい、と思っているだけだ。少しでも多くの資源を大切に使いたい、無駄をなくしたい、それを企業と社会で一緒に頑張ろうと言いたいのだ。

 

 ほかにもっと魅力的な提案があるなら私はききたい。ただ今それが聞こえてこないので、私から提案させていただいた次第である。

 

『中華人民共和国極東日本自治区』になってしまうのか?

 昨日BSニュースを見ていたら、中国政府が一生懸命進めている「一帯一路」の話が出てきました。これ、ほんと怖いです。シルクロードという名の征服運動にしか見えないんですもの。中国への債務が膨らんで、中国に従属するのがおちなのが見えるようです。まあやり方としてはうまいですよね。その哲学としては、昔列強と言われた国々が「植民地主義」で展開した活動に似ているのかなあ。

 

「50年後日本ってまだあるのかなあ」とぽろっと言うと、夫が、

「ないよ。だからいつも言ってるじゃん。日本はそのうち『中華人民共和国極東日本自治区』になるって笑笑笑」と返答してきて二人で笑いました。

 

 といっても笑えるうちがきっと華なんでしょうね。今やっている自民党総裁選挙なんていうのも、まあなんてお気楽なことでしょうって後で思い返すのでしょうか。

 

なおみちゃんのアイデンティティについて。

 先日ドイツ語教室の先生と興味深い話をしました。全米オープンで周章した大坂なおみ選手は、自分を日本人と思っているだろうか?と聞かれました。なおみ選手はたぶんアメリカ育ちの日系と単純に思っていました。そして試合にはいつもお母さん(日本人)が来ているようでしたので、きっとお母さんとの関係が強いのだろうということで、日本人と思っているのではないかと回答しました。

 

 先生曰く、日本は二重国籍を認めておらず、22歳になるまで国籍を選ばないといけない、なおみ選手は現在、日本、アメリカ、ハイチの3国籍を持っているらしく、2020年の東京オリンピックに日本代表として出るならば、日本国籍を選ばなければならない、と説明してくれました。なおみ選手の母は北海道出身ですが、ハイチ人の夫と結婚するときに家族から反対されそれから20年ほど北海道の親族とコンタクトがないとのこと。

 

 なるほど、このような背景で、ずっとアメリカに住んでいたのなら、なおみ選手はそれほど日本人としての意識をもっていない、というか日本人としての意識が育ちにくい環境だったのではと考えます。

 

 ナショナル・アイデンティティは、それによって何か不都合が生じたり、文化的背景の異なる環境に飛び込んで周囲との違いを意識したりといった、特異な状況下なければ意識されることはありません。ドイツ・アイデンティティについて本を書いているMary Fulbrookという歴史学者のGerman Identityという本が結構好きなのですが、そこには「ナショナリズムとかナショナルアイデンティティはワールドカップとかオリンピックとかでなければほとんど意識されず、ましてそれが問題になるのは戦争がおこったときくらいではないか」との考えが述べられていました。

 

 ただそうはいかないのが、移民や移民の子供、なおみ選手のような複雑な家族背景の持ち主ではないかと考えます。そして、今後どんどんそのような人が増えていくのではないかと考えます。なおみ選手の優勝のニュースを読みながら、ナショナルなものがなにか?の転換期に入っているのではないかと考える今日この頃です。

高級イタリアンのごときミネストローニ、我が家に参上。

 料理、好きですけどそんなに得意ではありません。特に平日は。ですが、先日以下の具材を使ってミネストローネを作りました。うちではなぜか、「ミネストローニ」と呼んでいます。チョコレート屋のピエール・マルコリーニのことを「モッコリーニ」と呼んでいます。

 

トマトの水煮缶

ニンニク

玉ねぎ

ジャガイモ

ネギ

固形ブイヨン

 

 で、まあまあおいしかったんです。5~6人前くらい作ったので、冷蔵庫に保存し次の日も食べました。次の次の日も食べました。最後の一杯は1人前だったので、夫とシェアしました。「これ、すごい美味しくなってない?」「うん、すごく旨い・・」とうなってしまうくらい、おいしくなっておりびっくりしました。

 

 カレーと同様、野菜をたっぷり煮込んだミネストローネは3日目にしてまるで高級イタリアンのように味わい深くなっておりました。別に料理の腕がいいわけでもないのですが、家で食べる方が野菜もたっぷりとれて栄養バランスもいいものができる気がします。昔は外食が大好きでしたが、最近はそれほどでもという感じです。でももちろんおいしいものを探すのは好きですので、定期的に外食はしたいですけどね。