親愛なるジャンボプールの神様へ

ヨーロッパ史のこと、移民のこと、スイムウェアのこと、社会のこと、政治のこと、生活のこと書いています。

昼夜逆転ではないけれど。

 頭の中で、重すぎはしないが軽すぎもしないちょうどバスケットボールくらいの球体が天井からぶら下がっているような感じがする日があります。パシンとたたけば揺れますがちょっとつついたくらいでは動かない。そんなふうに日中ぼーっとしてしまう日があります。前日ぐっすり眠れなかったからか、そもそも寝るのが遅かったのか、あるいはちょうどその時やっていることが気乗りしないことなのか。大体は、それらのいくつかの要因が複合的に重なりこの現象が起こります。

 

 そんな日の暮れに、洋裁教室に行くとまるで生き返ったようになります。教室にいる2時間はただただ生地と向き合うのです。眠気だとかけだるさとか、そんなものの入る余地は一切ないのです。せっせと針をうごかして、少しでも早く完成物を眺めたい一心で、仮縫いをどんどん進めていきます。自分の手で何かを製作し、完成させることの喜びを一度味わったならばもう前には戻れません。

 

 日中は宙ぶらりんな頭でキーボードをカタカタとたたく。エクセルでデータを作ったり、メールを書いたり。それが仕事ですから。それもそれで創造性のない活動ではないのですが、やはり、自分がこうとわかっている完成形に向かって—もちろん実際の完成形が自分の予定していたものと異なる場合もある―試行錯誤を繰り返したり、創意工夫を凝らしたり、「創造的」な活動をすることに大いなるやりがいを感じるのです。

 

 そんな日は、日中と夕暮れは、その期間中の活動においては全く逆の傾向をなしていたのだなあと気づきました。夕暮れになって、まるで太陽の出た天気のいい日の外遊びのように活動的になる。将来は、そんな活動を日中にもやれたらいいなあと思います。

気分のむらがありすぎて。

 さて、目標を明言したからには日々それに向かって少しずつ進んでいきたいものです。ところが、どうでしょう、ついつい目の前のことに追われて、目標のための作業が後回しになってしまいます。

 

 まあでもこれもそう悪いことではないのです。最近、自分は詳細に計画を決めて、がちがちにそのとおりにやるようなのは向いていないというのが段々わかってきました。そんなソ連のNEPだとか5か年計画のようなことをやるには、欲にまみれすぎているし、気分にむらがありすぎる。にもかかわらず、長年それに気づきませんでした。

 

 今、工場の生産管理をしている部署で下っ端として働いていますが、工場の生産ラインでだって、工程が前後することはあるのです。「トヨタ式生産方式」という本にだって、大野さん(著者)は「工程は変わるためにある」と言っているくらいですから、もう変わることを前提とすべき、なんでしょう。

 

 逆にがちがちに計画通りにやろうとすると、ソ連崩壊を導く。計画の神髄は守りつつやり方はPDCAのごとく、目的達成のための最適な方法を探りながら柔軟に変えていくのもよいのだということに少しずつ気づいてきました。

 

 ということで、これまでは大谷流目標の立て方を真似したり、日々何をするかというのを結構細かく決めていましたが、そこまではせず、1週間でなにを成し遂げたいかというのを決めてあとは、お任せ、です。決められたことを淡々とやるよりも、自分がやりたいからやる、という方がいいに決まっています。その時やりたいと思ったことをやればいい、ということにします。何もやらなかったら?という心配もありますが、そんなやりたくないことばかりを目標に備えるのがおかしいのです。

 

 ただし、趣味のように自ら好んでやるわけではないが、自己投資としてやるべきと思っていること(勉強等)については、取り組みやすいように、一番最初に取るべき行動を書いておきます。

 

 例えば、文章を書くことを習慣化する、という目標に対する計画として、毎週「ブログを3回書く」こととします。つまり1週間おわって、「ブログを3回書いた」ことになっていればいいなあ、ということになります。で、これがもし「やったほうがいいと思っているけどあまり気が進まないこと」であれば、計画を書くときに「ノートPCを開いてはてなブログを開く」と書きます。毎週ドイツ語のフレーズを5つ覚える、という計画であれば、「教科書を開く」等。そうすると少しとっつきやすくなります。

 

 まず1週間こんな感じでやってみようと思います。コントロールの難しい気分のむらにあまり逆らわず、むしろこちらからその「むら」とやらに乗ってやろうという魂胆です。このPDCAの「C」(チェック)についてはまた後日書きたいです。

大谷流目標の立て方なるものをやっていたが。

 大谷流の目標の立て方に倣って、2019年の目標を今年の1月に立てていました。3か月たったところで、さてどうなったか気になって見直してみました。3か月は短いようで実にたくさんのことがあって、心も移り変わり、目標もそう大きくは変わらないにしても微妙に変わってきています。

 

 この目標を見直す中で、段々大谷流は自分には合わないだろうと思いました。9マスX9マスはちょっと私には複雑すぎる。大谷君のような賢い人ならばいいのかもしれませんが、どんくさい私には向いていなかった。もっと単純な目標の立て方がいいのでは?と思い、目標とその立て方をちょっと変えてみました。

 

 今年の12月末にどうなっていたいか?と考えて、そこから逆算していく。でもそんなに細かくは考えません。12月末にどうなっていたいかなんて、決まってるじゃないですか、ああ今年も楽しい年だった、充実していた、ハッピーだった、成長した、って思えるようになっていたいわけです。だったら、楽しいことをして、いい思いで作って、なにか頑張りたいフィールドやプロジェクトで成長する。

 

 そうやって考えたら、案外スムーズに目標が立てられました。これで6月までやってみます。求めているものってつきつめたら結局単純なものなんですねえ。

我、独りにあらず。

 重い腰を上げて、この画面に向かっているのです。誰にもそうしろと言われているわけではないですが、重い腰を上げてこの画面に向かっています。腰が重い理由は説明しないでおきましょう。どうせ自分の中だけでdramaticになっているだけなのですから。

 

 ここに一つ明言しておきたいと思います。明言というか宣言でしょうか。無人島のような中で、しかし気持ちだけでも高らかと宣言してみたいと思います。

 

 どうしたって自分はHistorianになるということ。

 

 とにかく自分の自信のないせいで、また優柔不断なせいで、また弱い意志のせいで、しかし恐らく神のそう悪気のない誘導で、幾度か道にそれることになりました。そして、今もそれた途中にいます。

 

 Historyを専攻しその世界に魅了されましたが、学問の世界で結果を残せませんでした。大学卒業後、まずは食っていかなければいけない。ということで、当初は興味のなかった仕事をすることになった。これが案外面白い。自分なりにどうしたら面白いか、どうしたら自分の成長につながるか考えながら、なかなか充実した仕事人生を歩んできた。ところが、最後にどうしても中腰のような状態になってしまった。これ以上この仕事を掘り下げようとおもうと、相当の専門知識やコミットメントが必要だとわかって急に気持ちが萎縮したのです。それをやるんだったら、自分が最も情熱を注いできたHistoryの世界でHistorianとして道を掘り下げたらどうだ、と遠くから声がするのです。

 

 その声を聴いてから、しばらくどこかに埋もれていた情熱が顔を出して、しかも一度出たものはもうなかなかひっこまない。結構面倒なやからなのです。そして、かれこれもう3年程になります。Historianの道は全然近づいていません。正直なところを言えば、途中で何度か諦めました。Historianとして何をしたらいいか、何ができるのか、何がしたいのか埒が明かず全くの袋小路にあたって、ああ、やっぱり違ったのかなと。

 

 しかし、そう自分で思っても、ほんとに情熱のやつはしつこいやつでなかなかこちらを離してくれないのです。自分で自分の情熱に圧倒されると、なんとも本末転倒な状況に陥りました。その情熱に負ける形で、ここに高らかに宣言するのであります。どうせ負けるのは慣れています。負けてばっかりいるくせに負けず嫌いの意地っ張りですから、そんなことは得意技です。

 

 実がなるまでやってやろう。私はHistorianになる。なる。

再会。

 人生、ときたま思いもよらないことがあるものなんですねえ。と、ちょっと悟ったことを言っているな自分とおもいながらも、やはりこのとおりの感想なんですね。

 

 中学高校時代、だいぶ前のことですが、アン・タイラーという小説家の本をよく読んでいました。彼女の書く物語はアメリカの町ボルチモアが舞台になっていることが多く、また家族の物語がほとんどです。大きな事件が起こったり、だれかが冒険したりといったことはなく、登場人物の割と限られた行動範囲の中で、しかし時々移り変わることもある人々の心や生きざまを描写しています。それはジェーン・オースティンの物語のようでもありますが、アン・タイラーの人間観察はもっと"subtle"でユニークです。と、こんな説明をしても、あまり本の魅力が伝わらないのですが、とにかく青春時代の私の興味を引く小説たちでした。

 

 ただ、当時の自分は(今でも半分そうかもしれませんが)、現実世界は厳しいものなのでせめてフィクションの世界ではハッピーエンドを見せてくれ、というたちの人間でした。ですので、悲劇やあいまいな余韻を残して終わる小説は、「ふむ、そうか」と半分納得できないような心持で振り返ることをしませんでした。逆に、終わり方のハッピーなものは何度でも読み返しました。アン・タイラーの小説は、当時の私にとっては、あいまいな終わり方をするものでしたので、読んでいる間の充実感は相当なものでも、読み終わった後にもう一度読み返すことがありませんでした。

 

 それから、大学に入って小説をしばらく読まなくなりました。というのも、授業や課題のために読む本がわんさかありましたので、とても余裕がなかった。そうこうしているうちに、社会人になってからも殆ど小説なるものをよまなくなりました。そして、自分がいつか小説を読むことに夢中になっていたことも、その本たちの題名も作者の名前もどこか知らない世界に行ってしまいました。

 

 そんな、暗黒時代を打ち破って私をルネサンスの時代に導いたは、偶然同僚がくれたサマセット・モームの小説でした。『月と6ペンス』というのがそれなのですが、小説とはこんなに面白いものだったのかと不毛な時代を過ごしてきたことをやや後悔しました。しかし後悔する暇がないくらいすぐに次の小説を読み始めました。それから何冊目かに読んだのが、これがまた偶然なのですが父がすすめてきた『Accidental Tourist』という小説でした。

 

 借りてみると、なんと作者の名前がアン・タイラーと書いてありました。どこかできいたことがあるぞ。ちょっと悩んだ直ぐ後に、「あっ!」と心の中で大きく叫んでしまいました。懐かしい!昔自分が読んだ本の作者ではないか!瞬時に記憶のカセットテープが巻き戻され、記憶だけじゃなく、心も体もあの時代に戻った心持がしました。

 

 借りてきた本を読みはじめると、20年たった後も同じ作家の本に夢中になっている自分がいました。記憶の彼方に追いやられ、もはや違う世界のものとなってしまったのに、まさか新しい形で再開するとは思いもよりませんでした。20年たっても自分の興味関心には変わらないものがあるのだなあ、とちょっと感慨深くもありまた滑稽にも感ぜられました。人生、ときたま思いもよらないことがあるものだなあ、と感じました。

「ごはん論法」の政治の先で私たちはどうなるのだろうか。

バッシング ~その発信源の背後に何が~ - MBSドキュメンタリー 映像’19 | MBS

 

 非常に面白いドキュメンタリーでした。昨今、国会では首相をはじめ、大臣や官僚が、「ごはん論法」を使って要点の置き換えをすることが多く見られます。もう習慣になっているのではないかと思うくらいです。これは段々と浸透をふかめ、いつしか国会や政府の中で「文化」的地位を確立するようになるのでしょうか。そんな暁には、私たちは日中戦争や太平洋戦争前夜の頃のように戻るのでしょうか。

 

 つまり、段々と国民には真実のゆがめられた形だけが伝えられていく。それに対して知のある一部の人々が異議を唱えるが、ゆがんだか形での情報しか知らされなくなった大多数の前で、そして権力者たる政府の前で、無残に敗れ去る—。

 

 民主主義において、そしてその代議制において、人々は一部の知性のあるエリートに権力をゆだねるべきだ、なぜなら一般市民は衆愚政治の「衆愚」に陥りやすいから—。そんなことを唱えた政治哲学者がいたような気がします。果たして、私たちは「衆愚」なのでしょうか。

 

 例え私たちが「衆愚」に陥りやすい存在だったとしても、だからといって第二次大戦の大多数の無残で無念な死とその時代を生き延びた雄々しい生きざまの上に今日を生きている私たちとして、手にした民主的な権力をむざむざと手放したくはないと思うのです。民主的な権力を手にした私たちの責務が何か追究し続け、「衆愚」として自らの無知を知ることを求め続けることが必要だと考えます。

 

 だからといって、別にデモに参加したり、政治的な活動をしなければいけないというわけではなく、単にデータや出来事に接してその意味するところはなにか、真実は何か、根拠は何かと批判的に考えるだけでいいと思うんです。仕事で上司や経営陣のやり方に違うんじゃないのかなあと思ったり、この目標数値の根拠は何だ?と考えるのと同じです。ただ上が言ったから、人がいったから、偉い人がそう言ったからではなくて、です。そういう精神が、民主主義のもので衆愚に陥りがちな私たちが衆愚から脱出することができる糸口ではないかと考えます。(もちろん、中には思考力のすぐれた人や知性の人もいるでしょうから、その人たちには容赦いただきたい。。)

かさんだ医療費。

 さて、この2か月で注射を3度打つことになりました。日頃健康意識が強いと自分で思っている私がこのありさまで、一方健康維持にはずぼらな旦那はぴんぴんしています。

 

 先月は20年ぶりにインフルエンザにかかり、病気とは自分を失うようなものだなあと改めて感じました。もう自分で自分のコントロールが効かないのですから。別に人間が100%意思の生き物だとまでは思いませんが、やはり日々何かしら考え自分の意思決定の元に行動をしていると思いたい。環境や自分以外の何らかの要素によって自分の行動が決定されるとは思っていないわけです。

 

 しかし一度病魔にやられ、しかもそれがインフルエンザのような強力なものだと、もう完全に体も精神も何か自分でない要素にやられてどこかへ消え入ってしまうのです。日中戦争後の内戦で破れ台湾に逃げていった蒋介石の国民党みたいなもんでしょうか。そんな自分を旦那はせわしなく看病し、病院に連れていき、薬を取りに行き、夜なかでも起きて痛む脚や背中をマッサージしてくれたりと献身的に世話してくれました。

 

 回復したら旦那に恩返ししようと思いきや、今度は花粉症の症状がでてそれどころかではなくなりました。花粉症は初めてでこんなにつらいものかと、ずーとブツブツ言ったり、目が赤くないか?と赤くもない目を無理やり見せたり、息ができないと夜中おこしたり、またもや病院に連れて行ってもらったりとまた苦労かけてしまいました。

 

 やっと落ち着いてきたので、そろそろ旦那に恩返しをしようとおもっているところです。しかしなんでこんなにも調子が悪いのか?となやまずにはいられません。そして前年比急に増えた病院からの請求書のたばをみて、すでに1回分の旅行に匹敵する医療費がかかっていることがわかり、しばし呆然としました。